逆説の娘。史:加護亜依とコトダマ・ケガレ思想

元ネタ知っていないと面白くもなんともないネタですが、飽きもせず第三段を書きます。
不定期で書くとは予告してましたし。
今回は、加護亜依と言霊思想及び穢れ思想です。

 ここには物事を直視せずに、むしろ無視する、つまり無いことにすれば実体も
無くなる、という発想がある。
 だから、彼等はたとえば「あいぼん」という言葉もできるだけ使わずに済まそうとする、
いや、それどころか、映像からも追放しようとする。つまり「言葉狩り」である。
 加護亜依という存在を事務所から追放しても、ぬいぐるみに置き換えても、不祥事の原因と
なるものを直視し分析しない限り、教育の徹底などできるわけがない。
いくら言葉の上では消えても実体としてはさらに地下化して残るだけである。
 これは論理的に考えれば誰でも容易にたどりつく結論のはずだ。
 それなのに、なぜそういう手法が出るかというと、一つはコトダマの影響だ。
「コトダマ信仰」の世界では、言葉と実体は表裏一体、同じものだ。だからこそ、
「言葉を消せば実体も消える」ということになる。加護亜依を消せば不祥事も
消えることになる。しかし、そんなことは実際にはない。
 そして、もう一つ「ケガレ思想」の影響でもあるのだ。
「不祥事」もケガレならば、早いところそれを「水に流し」てしまえばいい、
ということになるではないか。そうすれば過去の「喫煙・温泉」という「不祥事」
そして「問題」が消えるものだと思い込んでいる。

(以上、「逆説の日本史 4 中世鳴動編」第六章から都合のいいとこだけ抜粋して編集)
文句は随時受け付けております。