逆説の娘。史:藤本美貴と足利義教

ちょっと気がむきまして、井沢元彦氏の「逆説の日本史」をマネて、
ハロプロ10年の歴史を勝手な解釈で書いてみようかな、と思います。
ネタが尽きたり、飽きたら止めますが・・・・。
歴史の順番は適当です。
では、以下から始めます・・・・。

 それにしても、万人恐怖の『美貴帝』と呼ばれた大物にしては、実にあっけない失脚だった。
藤本美貴が、足利義教織田信長とよく似ていることに気が付いた人がいるとすれば、
その人は真の歴史センスがある人である。
 3人とも力による絶対的権力を築き上げようとし、その完成直前で倒れたということである。
 性格については、3人とも『癇癖が強く厳格な性格』と言われた。
信長の有名なエピソードに馬で遠乗りに出かけた留守中、女中たちが遊びに行って帰って
こなかったことを知り、全員皆殺しにした、というのがある。義教も手落ちのあった家来を
よく処刑している。藤本美貴もサボり癖のあるメンバーを厳しく叱責している。
 義教はクジによって将軍に選ばれ、信長は守護代の分家の家老筋からの成り上がりであり、
ミキティはソロからの抜擢である。3人とも「正統な」存在ではない。
しかし彼らの論理は以下のようなものだった。
『私は神に選ばれたリーダーである。私の意志は神の意志である。反抗する者は神への
反逆の罪を犯すことになる』
 このように3人はよく似ている。ここから強引な推測をしてみよう。
足利義教を討ち取ったのは部下の赤松満祐(あかまつみつすけ)、織田信長を討ち取ったのは
部下の明智光秀(あけちみつひで)。犯人のイニシャルが同じという点から、藤本美貴失脚に
部下の『A・M』という義教・信長と同じ要素が関与している可能性はないだろうか。
名字と名前は逆になるが、
 光 井 愛 佳 (みつい あいか) がもしかしたら・・・・

(以上、「逆説の日本史 7 中世王権編」第五章から都合のいいとこだけ抜粋して編集)