紺野あさ美追憶

握手会で会ったのは2回ですが、東名阪の時とガッタスイベの時で、壇上で握手する人数も
ヲタの人数も比較的少なかったため、一言は会話する時間がありました。
2005年8月27日東名阪握手サーキット
 『紺ちゃんは、ガッタスの練習中に手を負傷しています。で、手術用手袋のような
  薄手のサポーター(?)を付けていました。なので、
  「大丈夫ですか?」と聞くと
  川o・-・)「大丈夫です!ありがとうございます!」と回答されました。
  ま、「ダメです」ったー言えないわな。』


2005年12月13日パシイベ
 『まず最初はこんこん。
  (僕)「0点に抑えて下さい。優勝して下さい」
  川o・∀・)「はい、ありがとうございます」
  握手は軽く触る程度でした。
  こんこんは、ちょっとはにかんだような表情で、首をやや傾げてこっちを見ます。
  あれはなかなか可愛いですな。』


会話っつーほどの会話じゃねーな。腰が低くて、態度が良かったのは記憶にあります。
スポフェスでも輝いてましたね。
2006年3月19日スポフェス、1,500m走
 『表彰後のインタビューで、「自己ベストを更新ですね」と言われるも、
  川o・-・)「自己ベストよりはかなり遅いんですけど」と回答するこんこん。これは、
  インタビュアー:ハロプロスポフェスにおけるタイム
  川o・-・):娘。加入前、札幌で陸上部をしていて、市大会で3位を取った時のタイム
  が基準に合ったためです。』


スポーツ関係ばかり書いてますが、歌でメインを張ったのは、
・Do it!Now(後藤・安倍・高橋・紺野がセンター)
涙が止まらない放課後(藤本・石川・紺野・道重がセンター)
シャッフルは、「おどる11」に「11WATER」と、11人ユニットであまり目立たず。
テレビでは、
・13人クリスマススペシャル
岡女期末試験
岡女体育祭(及びその番外編)
(いずれもフジテレビ)で、劣等生キャラ→優等生への脱皮をしました。
最初は補欠合格扱いだったのが、文武両道・娘。随一の秀才に社会の扱いが変わりました。
他に「うたばん」(TBS)初登場で舞台から転落しコンサにも出られなかったこと、
「FUN」(日テレ)で初めてテストは優秀なことを明らかにしたこともありました。
「うたばん」は扱いは悪くなり、「FUN」はカネボウの破綻から番組終了、
岡女をやった「めちゃイケ」さえも放送休止と、時代を感じます。
時代と言えば、
小泉純一郎内閣(2001年〜2006年在任)
紺野あさ美(2001年〜2006年まで娘。在籍)
「モー大変でした」で共演したっきりですが、同じイニシャル「K」が時を同じくして
登場し、同じ時に去って行くわけです。
彼女が娘。にいた6年間、色んなことがあったなあ、と改めて思いました。
今後の人生もしっかり生きていって下さい(なんつーまとめだ)。


P.S.ポケモーの卒業メッセージに寄稿しました。
 「できれば、僕の大学の後輩になって下さい」と。頑張れ!