昨日のゲキハロの観想的な駄文

つらつらと考えたこと。
・演出的に、メンバー7人が全員携帯小説家ではなく、大先生のダンサー志望の娘でも
話の展開上良かったかなと考えたりしたんですが、仲間ハズレも可愛そうだし、
ちょっとどうかな、と思ったものでした。
思い当たったのが「娘。のミュージカルでは、皆がワイワイやってる中で、一人距離を
置いた役はごっちん後藤真希)の担当だったな」というものでした。
℃-uteの中で、ちょっと距離を置く役が出来る子・・・・経歴的にはいますが、
栞菜を外すのはやっぱり可愛そうだし、そうなるといないなぁ・・・・。
あれは劇団の人で正解だったかな、と思いました。
 
・文化のクォリティとはなんぞや?
携帯小説を批判する台詞も多かったですし、肯定の台詞もありました。
それとはちょっと離れて、文化のクォリティとは何か?って考えまして。
・・・・寿司も歌舞伎も映画も小説すらも、大衆の支持の中から生まれたよな・・・・。
最初から高尚な文化ってあったかいな?
大衆に迎合するのが「質が落ちた」「金さえ儲けりゃそれでいいのか?」ならば、
そもそも小説って分野自体、中国の詩人(=朝廷の官僚・科挙の合格者)から見れば
「虚構を広める悪事」であって、低俗を出発点としてるんですよね。
まあ劇の中の会話にケチつけてもしょうがないのですが、現実世界で
携帯小説は小説ではない。小説家はもっと高尚な者だ」と言う人がいたら、
こういう事を言ってしまいそうな感じがしますわ・・・・。
(つーか、大衆受けを否定する心境にあったら、ハロヲタなんざやってませんわ(笑)。