第四次川中島合戦

ラスト前。例の啄木鳥戦法と、炊事の煙からそれを読む上杉政虎のお話し。
霧の中現れた上杉軍は車懸かりの陣を採り、新手を次々と繰り出す波状攻撃をしかけたって話しです。
何かの資料で、霧から出た上杉軍にとっても武田軍の位置は予想外で、先鋒の柿崎景家軍は
武田軍右翼にぶつかった後、敵陣を渡り歩くように戦いながら武田軍左翼に移動し、
後続もそれにならったために、あたかも新手が次々と繰り出されては交代していくように見えた、
というものを読んだ覚えがあります。真正面に布陣するつもりが、相手の位置も分からないから、
斜めの位置にいたため、戦いながらそれを修正したというものでした。
ついでに、武田信玄は家中の統制の為、有力家臣の庶家を積極的に取り立て、家を増やして、
一武将が率いる兵士の数を減らしたというのがあります(巨大な戦闘集団を作らない)。
従って、一個集団あたりの戦闘力は低下するも、集団数が多いために戦略行動はかなり柔軟であったと。
一方の上杉家では、そういった統制ができず、上杉謙信は竹の指揮棒で適当な大きさの戦闘集団を
その場その場で編制したというものでした。なので、先鋒の柿崎景家の戦力は、武田軍のどの部隊よりも
多く、衝撃力は高かったため、武田軍は大いに苦しむも、部隊数が多いから最終的には耐え切れた
という話もあったと思いました。
ところで、鬼小島弥太郎が出てきてませんよね。軍記物ではある、鬼小島対山県(飯富)三郎兵衛の一騎打ち、
「しばし待て!」
「一騎打ちの最中に待てとは何事か!」
「若殿(武田義信)が危機にある。家臣としては助けに行かねばならぬ。この勝負預けられぬか」
「そういうことであれば仕方がない。武士の習いである。行かれよ」
「天晴れなり。『鬼』小島等とは誰が言ったものか。花も実もある見事な武将なり」
というやり取りは・・・・重要じゃないし、ないな・・・・。