功名が辻関係

大坂城に参られよ!」
( ´酈`)(しらない人について行っちゃダメだって言われてるんだよね)
という「功名がののたん*1ジョークがおいといて、ちょっと脚本にツッコミ。
接待中、一豊は家康に
「利で儂に付く者は、いずれ儂をまた裏切る」
と言われてましたよね。それが最終決断で
「石田殿の義か、家康様の利か。存亡の時じゃ。家康様の利を取る」
・・・・伏線台無しじゃん。
「お味方の毛利家すらまとめられない、石田殿の義はその程度なのか」とか
「妻子を人質とする、そのような姑息な義があろうか!」とか言って
利以外を理由に家康に味方するのが、シナリオ的には正しいのでわ?
と素人さんは思うの
ですがね。どうでしょう?
 シナリオはともあれ、実際には「利」で味方しても全然おかしくないわけです。
そういう時代ですから。家康も一々気にかけていないと思いますね。
歴史群像 No.79」の解釈なのですが、こういうのがあります。
「一豊はじめ天正十三年時点で秀次付とされた家老たちは、秀次が関白となった
天正十九年当時には若手の官僚型家臣に取って代わられていた。秀次失脚時に
巻き添えを食わなかったのは、既に秀次から離れていたためで、同時に豊臣家に殉じる
義理も消滅したようだ。関ヶ原の3年前の慶長二年には、既に家康に接近している」
正直、あの優柔不断な大河の一豊より、こっちの一豊の方が頼りになるんですけど。
 「功名が辻」は昭和に司馬遼太郎によって書かれた小説ですから、後付の新解釈で
どうこう言うのは間違いですね。ただ、関ヶ原直前になっても迷ってる一豊を見て、
そりゃ違うんじゃないか、とツッコミたくなったので、ついお目汚ししました。

*1:山内一豊の妻に関するhoukouonchi流新解釈。ののたんレベルのアホ妻なら、結果としてうまくいくから、いつの間にか賢妻になってしまった